エニグマは,一見,複雑なタイプライターのような形で,通常の26文字分のキーボードと,さらにもう1組,26個の文字が書かれたライトがならんでいる。タイピストが文字のキーを1つ押すと,3枚のホイールを通して電流が流れ,いずれかのホイールが1刻みだけ前に進む。それと同時にランプボード上の暗号化された文字が点灯するので,1人の助手が別の助手にこの文字を読み上げて,得られた無秩序な文字がモールス信号で打電される。メッセージを受けた側は,この手順を逆にたどることになり,暗号を受けた人物がエニグマのキーボードに暗号化された文字を打ち込むと,ランプボードにもともとのメッセージが浮かび上がるというしかけだった。エニグマのオペレータは,配線やホイールや出発点などを変えて,何兆もの組み合わせを作ることができた。
ドイツ側は,軍の意思伝達の標準手段となる装置をどんどん複雑にしていった。そして約4万個の軍用エニグマを,ドイツ陸軍,海軍,空軍,予備軍,最高司令部,さらにはスペインやイタリアの国粋主義勢力やイタリアの海軍にもばらまいた。1939年9月1日にドイツ軍がポーランドに侵入する際に猛スピードで電撃作戦を展開できたのも,充電器つきエニグマのおかげだった。エニグマを装備した指令車両に将校が乗り込んで,援護射撃や飛行機による急降下爆撃や戦車の動きを調整するという未だかつてない作戦を取ったのだ。ドイツ軍艦のほとんどが——なかでも戦艦や掃海艇や補給船や気象通報船やユーボートは全挺が——エニグマを装備していた。
シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.123-124
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