テューキーは軍事のほかにも,空気の質や化学汚染やオゾン層の減少や酸性雨や,国勢調査の方法論や教育における試験の問題といった広い範囲の問題について政府に助言を行っていた。
いったい全体どうやって,こんなにたくさんの仕事をこなしたのだろう。セミナーのときに,後ろの列に腰を下ろして居眠りしたり,郵便物を読んだり,新聞にざっと目を通したり,論文に手を入れたりしていたテューキーが,発表が終わったところでおもむろに立ち上がって論評を加えたという類の伝説は山ほどあった。また,レコードでバロックの管楽合奏を聴きながら鉛筆で論文を認め,一番上に「〜とジョン・W・テューキー著」と書き加えたうえで長い付き合いになる2名の秘書のどちらかに渡し,それからおもむろにその論文を完成させるための共著者を探しに行ったという話もある。テューキーは約800の刊行物に名前を残し,105名以上の著者と共同で著作を発表したが,共著者のなかには国立衛生研究所のジェロム・コーンフィールドも含まれており,もっとも頻繁に共著者となったのはハーバード大学での友人フレデリック・モテスラーだった。
シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.301-302
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