では,テューキーはどこに立脚していたのだろう。反ベイズ派でしかも反頻度主義者なのだろうか。友人たちによると,テューキーはモステラー同様,融通の利かない統一的な哲学に反対していたという。ブリリンガーの見るところ,テューキーは「ベイズ派の主張そのものではなく……ベイズ派の一部に」いらだっていた。テューキーにいわせると,「ベイズ派の技法をすべて捨ててしまうのは本物の過ちだが,わたしにいわせれば,ベイズ派の技法をありとあらゆるところで使おうとするのはそれ以上に大きな過ちだ」った。つまり,いつどこで使えばいいかを知っているかどうかがポイントだったのだ。テューキーはしばしば「どの場合にも通用するアプローチをつくろうとする自然ではあるが危険な欲望」に不満を漏らし,「わたしの見るところ,ベイズ解析にとって最大の脅威となるのは,重要なものをすべて単一の定量的な枠組みにはめ込むことができるという信念だ」と述べている。
シャロン・バーチュ・マグレイン 冨永星(訳) (2013). 異端の統計学 ベイズ 草思社 pp.309-310
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