現代のわれわれにそれがわかるのは,不変の指標があるからだ。たとえば,いきいきとして弾むようなパガニーニの「バイオリン協奏曲第一番」や,バッハの「バイオリンのためのパルティータ第二番」の終曲——演奏時間が14分に及ぶ,難易度のきわめて高い作品——である。いずれも18世紀には演奏がほぼ分可能だと考えられていたが,現在ではバイオリンを学ぶ学生たちでも弾きこなせる。
これはどうしてだろう?さらに,陸上選手や水泳選手はより速く,チェス選手やテニス選手はより巧みになっている。人間が,たとえば11日ごとに新しい世代が生まれるミバエならば,理由として遺伝子や進化を挙げたくなるかもしれない。だが,遺伝子や進化はそういう働きを持たないのだ。
これには単純な,なるほどと思える説明がある。そこに含まれる意味合いは,家庭生活や社会の根本にかかわってくる重大なものだ。つまり,ある人々は他より熱心に——また,他よりも利口に——訓練している。何かをうまくできるのは,うまくなる方法を見つけたからなのだ。
才能はものではなく,プロセスである。
デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.18
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