子供は環境が要求する分だけ発達する。1981年,ニュージーランドを拠点にする心理学者のジェイムズ・フリンは,まさにこの言葉どおりであることを発見した。100年以上にわたって測定された生のIQスコアを比較したところ,その数値が少しずつ上昇していた。見かけ上,数年おきに以前よりも賢い受験者集団があらわれていた。つまり,1980年代の12歳のIQは1970年代の12歳よりも高く,1970年代の12歳のIQは1960年代の12歳のIQよりも高かった。あとの時代になるにつれてIQが高くなったのだ。この傾向はある地域や文化にかぎったことではなかった。また,時代間のスコアの差は小さくなかった。平均すれば,IQスコアは10年ごとに3ポイント上昇していた。2世代で18ポイントにのぼるのだから,これはたいへんな違いである。
この違いはあまりにも大きく,理解しがたいほどだった。20世紀後半の平均値を100とすれば,1900年の平均値は60ほどだったのだ。このことから,ひどくばかばかしい結論が引き出された。「われわれの先祖の大半は知能が遅れていた」というのだ。知能指数が徐々に上昇する現象,いわゆる「フリン効果」に対しては,心理学の認知研究の分野から疑いの声が上がった。どう考えても,人間は100年足らずのあいだに飛躍的に賢くなったとは言えない。もっと別の理由があるはずだった。
フリンは,IQスコアが上昇しているのは特定の分野に限られることに目をとめ,そこから重要なヒントを得た。現代の子供たちの成績は,一般知識や数学では昔の子供たちとあまり変わらなかった。ところが,抽象的論理の分野では,フリンによれば「困惑するほど大きく」進歩していた。時代をさかのぼるほど,仮言や直観的問題に苦心しているようすがあった。どうしてだろう?それは,世の中がもっと単純だった100年前には,現代のわれわれの頭の中に入っている基本的な抽象概念は,ほとんど知られていなかったからだ。「1900年におけるわれわれの先祖[の知能]は,日常の現実のみに向けられていた」とフリンは説明する。「われわれが彼らと異なるのは,抽象概念,論理,仮説を用いることができる点である……。1950年代以降,われわれは,以前に学んだルールに縛られず,問題をただちに解くことに巧みになった」
19世紀の人びとの頭の中に存在しなかった抽象概念の例には,自然選択説(1864年に初めて提唱された),対照群の概念(1875年),無作為標本抽出の概念(1877年)などがある。100年前のアメリカでは,化学的な方法論自体,ほとんどの人になじみのないものだった。一般大衆にとって,抽象的に思考する条件がととのっていなかったのだ。
言いかえれば,IQスコアの劇的な上昇のきっかけは,原因不明の遺伝子変異でもなければ,摩訶不思議な働きをする栄養素でもなく,フリンの言う「全科学的な操作的思考からポスト科学的なそれへの[文化の]移行」だった。20世紀になると,基本的な科学法則が少しずつ大衆の意識に入りこみ,われわれの世の中を変えていった。この変化は,フリンによれば,「人間の心の解放にほかならない」のだった。
デイヴィッド・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.56-57
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