しかし,もっと重要な事がある。これらの数値が当てはまるのは集団のみであり,個人には適合しないのだ。マッド・リドレーの説明によれば,遺伝率は「母集団平均であり,個人には無意味である。ハーミアのほうがヘレナよりも遺伝的知能が多い,などと言うことは不可能だ。たとえば,『身長の遺伝率は90パーセントである』と言うときには,身長の90パーセントが遺伝子によって,残りの10パーセントが食べ物によって決まるという意味ではない。ある標本における分散は,90パーセントを遺伝子に,10パーセントを環境に帰すことができるという意味なのだ。個人における身長の遺伝率は存在しない」
この場合,集団と個人は昼と夜ほど異なる。マラソン選手が本人を除く1万人の選手のタイムを平均しても,自分のタイムを算出することはできない。平均寿命がわかったところで,自分の人生が何年続くかはわからない。全国平均をもとにして考えても,自分が子供を何人持てるかを予見することは不可能だ。平均は平均にすぎない——ある面では非常に便利でも,別の面では無用になる。遺伝子の重要性を知っていることは有益だが,双生児の研究では個人や個人の可能性について何も証明されていない事実に気づくことも,それに劣らず重要である。集団平均は個人能力の指標にはけっしてならない。
・シェンク 中島由華(訳) (2012). 天才を考察する:「生まれか育ちか」論の嘘と本当 早川書房 pp.100
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