実を言えば,だれでも似たような経験をしているはずなのだ。あなたは日々の生活で出会う人々を,カテゴリーに分類しようとするだろう。博物学者が生物界を秩序のある組織として捉えるのと同じく,わたしたちは人間の集団を,一種の組織として捉えている。つまり,人間は異なる個人個人の寄せ集めではなく,いくつかのタイプ(型)に分かれることを知っているのだ。実際,人間は自然発生的なカテゴリーに分類できるように見える。優秀だが人づきあいが苦手な学者肌の人,声が大きくきびきび働く食堂のウェイトレスのようなタイプ,というように。誰もがそうしたカテゴリーを意識し,自分なりにつくっている。仮に,あなたがアイオワの小さな田舎で暮らしていて,数百人程度の人と交流があるとしよう。そうした環境では,整然としたわかりやすいカテゴリーをつくることができ,それがぐらつくことはほとんどないだろう。あなたは,人々の年齢,性別,外見,職業,物腰,能力,親切さ,姓名などを総合的に判断し,堅牢なカテゴリーをいくつか作るはずだ。ごく少数の,普通でない人々には,専用のカテゴリーを設けるかもしれない。あなたは人々の特徴を見て,感じ,分類している。あなたが秩序を組み立てているわけではない。そこに存在する秩序,うっすらと透けて見える秩序に気づき,それを見分けているだけなのだ。命あるものは常に,シンプルで明快である。
キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.36-37
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