生物を細分化することには,麻薬のような快感が伴うらしい。生物群から選び出した生物に名前をつけ,「この生物は私が何々と名づけた」と宣言して,その存在と自然界における位置づけを世に知らしめるというのは,かなり気分のいいものだろう。その高揚感は,世界で最も文学に通じ,もっとも有名な鱗翅類学者(チョウを専門とする分類学者),ウラジミール・ナボコフのよく知るところだ。細分主義者として知られるナボコフは,小説を執筆する一方で,「ブルー」と呼ばれる中南米のシジミチョウ科のチョウに夢中になり,次々に新種を見つけては命名した。チョウを捕獲するのは愉快だが,新種を発見して世間の科学者を驚かせるのはもっと愉快だと思っていたからだ。ナボコフはインタビューに応えて,チョウの研究でもっとも大きな喜びのひとつは「分類体系におけるそのチョウの位置を決めること」だと語っている。「ときとして新発見によってそれまでの体系が覆され,ぼんやりとしていた老兵は倒され,花火のように派手な論争が始まる。それを見るのはじつに愉快だ」
つまり,名前のなかったものに名前をつけることには抗しがたい魅力があるため,細分主義者はそれを繰り返さずにはいられないのだ。統合主義者から見れば,細分主義者ほどたちの悪いものはなかった。
キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.107
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