だが,またしても,混乱を解消し,秩序をもたらすはずのものが,逆の結果をもたらした。マイアが種を定義しようとしたせいで,「種とは何か」という,これまで最も軽んじられていた進化にまつわる謎に多くの人が注目するようになり,その謎をめぐって数十年にわたって議論が繰り広げられることになったのだ。この問題は,やがて「種問題」と呼ばれるようになり,分類学者たちを大いに悩ませた。
まず,定義に関していくつかの問題が浮上した。ひとつは実際的な問題である。例えば,パナマの山岳地帯の雨林とハワイの火山地帯で2匹のカブトムシを見つけたとしよう。両者はとてもよく似ているが,同じ種だろうか?マイアの定義を用いるのであれば,それらが交配できるかどうかを調べる必要がある。しかし,おおかたの生物がそうであるように,それらのカブトムシは,実験室ではあまり長生きしないだろうし,交配に適した環境を整えるのも難しい。ペトリ皿で人工授精させたとしても,野生の状態で交配するかどうかはわからない。だとすれば,同じ種といえるのだろうか?それに,博物館の分類学者はどうするだろう?四肢を広げてピンで刺された標本の交配能力を試すのは途方もなく難しいはずだ。
もうひとつ,より大きな問題も明らかになった。それは,多くの生物は有性生殖をしないということだ。これらの生物,すなわちバクテリア,アブラムシ,ある種のトカゲ,ポプラ,オリヅルランなどは,自分とまったく同じコピー——クローンと呼んでもいい——を生産する。母トカゲのクローンである小さなメスのトカゲや,植物の親株から分離した子株が独自に育ち始めるのである。こうした生物の種を定義するうえで,それらが交配しないことをどう考えればよいのだろう。交配することなく生まれたバクテリアは,どれも新たな種だと言うのだろうか?
キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.124-125
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