しかし,物語はこれで終わりではない。調べ始めてすぐにわかったのは,民族分類の研究は途方もなく困難な仕事だということだった。この種の情報の収集には,多大な困難が伴う。一見,それは簡単なことのように思える。一本の植物,あるいは一匹の動物をつかんで,「これをあなた方は何と呼ぶのか」と現地の人に尋ね,また別のものをつかんで同じことを尋ね,その答えを書きとめていけばいいのだ。しかし,その分野の研究者が収集しているのは,生物の概念やカテゴリーや言葉であり——それらは,噛みもしないし,逃げもしないが——,それは生物をつかんで名を尋ねるよりはるかに難しい作業なのだ。生物を見つけて瓶や袋に詰め込むだけでは,それらについて理解したことにはならないが,それと同じで,多民族の生物分類法を集めるには,その分類に含まれる生物を熟知するだけでなく,その名前,詳細な描写,分類の土台となっている言語体系と概念のすべてを,正しく理解しなければならない。「この動物をあなた方は何と呼ぶのか」と尋ねて,ある答えを得たとしても,それがすべての哺乳類を指す言葉なのか,それとも小型哺乳類だけを指すのかはわからない。植物についても,民俗分類の名前が,あらゆる種類の植物を意味するのか,それとも森の中で育つ薬草のことなのか,あるいは特定の薬草を指すのかがわからなければ意味はない。
キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.141-142
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