わたしたちが生物について語る言葉にも,共通性が見られる。わたしたち人間は,生物を見て同じように分類するだけでなく,座ってそれらについておしゃべりするときにも,同じように語るのだ。
その非常にわかりやすい例は,どこに暮らす人も,生物の類似や相違を語るときに,いとこ,父,家族といった人間の血縁関係を表す言葉を用いることだ。わたしたちは,外見や行動や匂いが似た動植物を見ると,人間の家族間に見られる類似を連想する。そのため,幅広い言語圏や文化圏において,よく似た生物を親戚どうしのように表現している。例えば,ある種を他の種の「父」と呼んだり,似たような集団を同じ「血統」と呼んだりするのだ。マヤのツェルタル族は似ている植物を「兄弟」,あるいは「家族」と呼ぶ。英語のくだけた表現でも,ある動物をツチブタの「いとこ」と呼んだり,ある植物を「シダのファミリー・メンバー」と呼んだりする。また,科学者も,「ファミリー」という単語をリンネの階層の一段階(科)として用いており,互いに近縁な種と種を「姉妹種」と呼ぶ。生物の類似を人間の家族になぞらえるのは合理的ではあるが,どこでもそうする理由はない。しかし,世界中でそのような比喩がなされているのだ。
キャロル・キサク・ヨーン 三中信宏・野中香方子(訳) (2013). 自然を名づける:なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか NTT出版 pp.151-152
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