そこで催眠時に特有のこのような行動を説明するものとして,「トランス論理」という重要な概念が唱えられている。単純に言うと,理屈で考えれば矛盾している馬鹿げた物事に対して,それを不思議とも思わずに反応することだ。ただし,「論理」とは言っても実際に何かの論理が働いているわけではない。といって,たんなるトランス現象の1つとして片づけることもできない。私としてはもう少し表現を膨らませて,「言葉によって生み出された現実への不合理な盲従」と呼びたい。なぜ不合理かといえば,実際とは異なる現実を正しいものとして突きつけられたとき,それに従うために論理の規則を脇へ追いやってしまうからだ(論理とは,私たちの外に存在する真実の基準であって,心の働きによって導かれる結論とは違うことを思い出してほしい)。
ないはずの椅子にぶつかる(これが合理的な服従)のではなく,椅子をよけて歩きながらそれを少しもおかしいと思わないのは,不合理な盲従のなせる業だ。英語は分からないと英語で答えておいて,どこも変だと感じないのも同じだ。先ほどのドイツ生まれの被験者が,仮に催眠にかかったふりをしていたとしたら,きっと合理的な服従をして,かろうじて覚えているドイツ語だけで話をするか,黙り込むかしていただろう。
ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之(訳) (2005). 神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡 紀伊国屋書店 p.473-474
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