さて戦前のわれわれ心理学教室の仕事は後に内田・クレペリン精神作業検査と呼ばれた連続加算検査の研究から始められた。卒業生名簿によると昭和7年から20年までの卒業生は41人であり,以下に「教室の仕事」と呼ぶ諸研究のどれかに参加して先生の仕事を手つだってくれたのはその半数以下であったと思うが,ともかくも当時はこのクレペリン検査の仕事をはじめとして,教室の仕事というそのときどきの特定の研究課題があり,こういう教室体制が戦争までつづいていたのである。それで連続加算検査の研究であるが,前述のように内田先生は五高時代にその25分法を確立され,その後に正常者定型とされたものを発見されていたのであるが,これを後の1万人の作業定型なるものにまで発展させたのは早稲田においてである。赤松先生が第二高等学院の教務主任であった時かと記憶するが,入学試験の2次試験の口頭試問の前であったか後であったか試験の合否には関係しない旨を明らかにした上で全員のクレペリン検査を行った。当時この検査は1桁の数字が縦に並んでいて,上と下の数字をよせて答を右側に書くのであって,被験者1名ごとに検査者1名というやりかたであり,クレペリン以来これがつづいてきたのであるが。これではとうてい多数のいっせい検査はできないので現行の横書検査用紙をわれわれが開発した。その後のクレペリン検査にはすべてこの横書検査用紙が使用されている。
(戸川行男記)
「早稲田大学心理学教室五十年史」編集委員会 (1981). 早稲田大学心理学教室五十年史 早稲田大学出版部 pp.7-8
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