映像の作為を象徴する手法にインサートという技術がある。AとBとが対面して話し込んでいるシーンで,Aの話に相槌を打つBの表情が,パン(横移動)ではなく画面にカットインの形でインサート(挿入)されたなら,そのカットは実は,実際とは違う時間軸の映像なのだと思ってまず間違いはない。ドキュメンタリーの現場で,複数のキャメラが互いに同調しながら回っていることなどめったにない。キャメラが互いに映りこむことはとりあえずタブーだし,何よりも(テレビも含めて)日本のドキュメンタリー現場に,そんな潤沢な予算は許されていない。
つまり,Aの発言にBが賛同しているか不満をもっているかなど,編集で簡単に操作できる。インサートの映像に何を選択するかで,2人の関係性も猫の目のように変わる。恣意的に作品を変更させることなど容易い。その気になれば関係の捏造や誇張など,編集機の前でチーズバーガー1個を食べ終えるあいだにやることができる。
森 達也 (2008). それでもドキュメンタリーは嘘をつく 角川書店 p.99-100
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