神話的・民話的な「忘却」と「記憶喪失」を隔てる最大の要素は,前者で描かれる人物が近代的な意味での「個人」ではないことである。したがってそこで語られる登場人物は,なぜ自分がそこにいるのか,なぜ記憶を失ったのか,あるいは記憶を失うことがもたらす人間関係といったことにほとんど関心を持たない。別の言い方をすれば彼らはある種の役割として存在するのであり,彼ら(より正確に言えば彼らについて語る話者ならびにその聞き手)はこうした役割について疑問を持たない。その意味では昔話や神話における記憶喪失は,現代の漫画やテレビドラマでの用いられ方とよく似ている。そこでは記憶喪失は単に物語を展開させるための仕掛け(ギミック)であり,また神話や昔話に見られるように記憶喪失というモチーフは他のモチーフと交換可能であることが多い(どうしてもそこで記憶喪失が用いられなければならない必然性はない)。
小田中章浩 (2013). フィクションの中の記憶喪失 世界思想社 pp.27-28
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