記憶喪失を精神分析と関わらせるという発想は,ウェストの『兵士の帰還』(1918)に見られた。またラインハートのミステリー『破断点』(1922)でも「精神・分析医」が脇役で登場する。ただしこれらはあくまで早い時代における例外的な試みである。欧米では1920年代後半においても,精神分析はまだ一部のインテリの間で知られているにすぎなかった。しかし1940年代になると,精神分析はアメリカで中産階級を中心として広く認知されるようになる。その直接的なきっかけは,精神分析を敵視したナチス・ドイツの迫害によって1930年代後半からフロイトの弟子たちが次々とアメリカに移住したことである。その結果,精神分析の中心地はアメリカへと移った。
ただしこうした外的な要因は別として,アメリカではすでに戦前から後の精神分析の流行を予感させるような作品が作られていた。それは,ハメットやチャンドラーによって代表されるハードボイルドな犯罪小説に対して,犯罪を心理的な側面から描こうとする犯罪小説であり,さらに映画である。これらは後に「サイコスリラー」(psychological thriller)と呼ばれるジャンルに属する作品である。前者が,産業化が進む都市の周辺部において悪と戦うことにより自らのアイデンティティを見つけようとする主人公を描いていたとすれば,後者における主人公は性的な逸脱を含めた悪へと引き寄せられ,そこで葛藤する。こうした作品が登場した背景には,大恐慌を経て次第に戦争への予感が強まっていく当時のアメリカ社会があり,そこで人々が漠然と抱いていた不安があった。
小田中章浩 (2013). フィクションの中の記憶喪失 世界思想社 pp.97-98
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