したがって夥しい数のすべてのかような快楽を,たとえ一般の人々は依然として快楽と考えているとはいえ,ユートピア人だけは真正な快楽とはなんら関係ないものとしてこれを断乎として排撃する。そこにはなんrの自然な快さというものが見出しえないからである。勿論これらのいわゆる快楽がわれわれの感覚にある快感(これが快楽の本当の作用だと考えられるわけであるが)を与えるのは事実である。しかし,だからといってユートピア人の考えが少しでも変ると思ったら大間違いである。本来苦いもの,酸っぱいものを甘いものと感ずる場合,その原因はどこにあるかといえば,それは決してその物の性質にあるのではなく,むしろ異常で途方もないこちらの味わい方にある。ちょうど妊娠中の婦人が,味覚をすっかり害したあげく,瀝青(ピッチ)や獣脂を蜂蜜以上に甘いと考えるのと同じである。それはともかく,病気のせいにしろ,習慣のせいにしろ,こちらの判断力が鈍り変質したからといって,直ちに当の快楽の本質そのものまで変えてしまうということはできないのである。これは他の種々な事物の本質についてもいえることだ。
トマス・モア 平井正穂(訳) (1957). ユートピア 岩波書店 p.118-119
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