現実のどんな競技においても技術とツキは当然,不可避的に混じり合っているが,その比率には大きな幅があるだろう。非常にでこぼこのコートのテニスのトーナメントでは,ツキの比率が高くなるだろう。それはちょうど,第1セットの終了後,試合を継続する前に弾丸が充填されたリボルヴァーでロシアン・ルーレットをするよう選手に要求する,新ルールのようなものだろう。だがそうしたツキに支配された競争においても,統計的に秀れた選手の多くは,やはり後半のラウンドまで進むことが<多い>だろう。結局は技術の違いを「判別する」トーナメントの力も,偶然の大異変によって減少してしまうかもしれないが,一概に言えばゼロにまでなることはない。この事は,スポーツの選抜トーナメントについても,自然における進化のアルゴリズムについても,同じように当てはまるが,ときに進化の注釈家はこれを見逃してしまう。
ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.75
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