こうした個人差が生じるのは,被験者が何を信じているか,つまり「集団内で強制力を持つ共通認識」が人によって異なるためではないか。そう思わせる研究が近年に行われた。まず被験者に,催眠術にかかるとどうなると思うかを事前に紙に書かせる。後に実際に催眠を誘導して,その結果と紙の内容を比べてみた。ある女性は,目で見なければできない課題を与えられるたびに,決まってトランスから「覚めた」。彼女が書いていた文章を後で調べてみると,「催眠術にかかるためには目を閉じていなければならない」と記されている。ある男性は,2回目でようやく催眠に入ったのだが,彼の紙には「ほとんどの人は1回では催眠術にかからない」とあった。別の女性は,立っている時には指示通りにふるまうことができない。彼女はこう書いていた。「催眠状態に入る時には,横になるか座るかしなければならない」。しかし,催眠について語れば語るほどーたとえば本章のようにー「集団内で強制力を持つ共通認識」のばらつきが少なくなり,ひいてはトランス時の振る舞いからも個人差が減っていく。
ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之(訳) (2005). 神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡 紀伊国屋書店 p.475
PR