だが乱用される言葉の定石どおり,「還元主義」には何も定まった意味はない。その中心的なイメージは,1つの学問は別の学問に「還元される」,たとえば化学は物理学に,生物学は化学に,社会科学は生物学に還元される,と主張する者のイメージである。問題は,そうした主張にはどんな主張にも,穏やかな解釈と馬鹿げた解釈の2つが存在することだ。穏やかな解釈によれば,化学と物理学,生物学と化学,そしてそう,社会科学と生物学でさえも<統合>することができる(し,統合するのが望ましい)のである。けっきょく,社会は人間によって構成されており,人間は哺乳動物としてすべての哺乳往物をカヴァーする生物学の原理に服さなければならない。また哺乳動物は,分子から構成されており,分子は化学の法則に従わなければならず,化学はまたそれの基礎となっている物理学の規則性に合致しなければならない。正気の科学者でこうした穏やかな解釈に異論を差し挟む人はいない。最高裁の居並ぶ判事も,どんな誰とも同様,重力の法則に縛られている。なぜなら,かれらもまた最終的には物理的物体の集合だからである。馬鹿げた方の解釈によれば,還元主義者は,下位の項のために,上位の科学の原理,理論,語彙,法則を,捨てるのだという。還元主義者の夢は,そういう馬鹿げた解釈に基づいて,「キーツとシェリーの分子的観点からの比較」とか,「供給サイド経済理論における酸素原子の役割」とか,「エントロピーの揺らぎから見たレンクイスト法廷の判決の説明」といった論文を書くことにあるのかもしれない。おそらく,馬鹿げた意味での還元主義者などどこにもいないのだろうし,人はすべて穏やかな意味での還元主義者であるはずなのだから,還元主義者と「非難」されても,あまりに漠然としていて答えるにも値しない。「しかしそれは実に還元主義的ですね」と誰かに言われたら,「それはまた風変わりで昔ふうの言葉ですね。いったい何を考えていたのですか」とでも答えておけば十分だ。
ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.114
PR