ダーウィンによれば,「変種と種の違いは何だろう」という類いの問いは,「半島と島の違いは何だろう」という種類の問いに当たる。満潮時に半マイル沖合に島が見えたとしよう。干潮時に足を濡らさずにそこまで歩くことができても,それはまだ島なのだろうか。そこまで橋を架ければ,島であることを止めるのだろうか。道を作ったらどうだろう。半島を横断する運河(コッド岬運河のような)を掘れば島に変えられるのだろうか。ハリケーンが来て掘削の仕事をしてくれるのだとしたらどうだろう。この種の探求は哲学者のお手の物である。それは定義に憂き身をやつしたり本質の探究をするソクラテス的活動,つまりXであるための「必要十分条件」の探求なのだ。ときには,ほとんどすべての人々が,そうした探求自体が無意味なのだと得心できるケースもある---島は明らかに実在的な本質を持ってはおらず,せいぜい唯名的な本質を持っているに過ぎないからだ。だが,またときには,答えることを必要とする深刻な科学的問題がやはり存在するように思われるケースもあるのだ。
ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.133
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