ミトコンドリア・イヴの王冠もイヴ自身が生きているうちには姿が見えないという,この奇妙な不可視性は,あらゆる種が持っているはずの始まりが,ほとんど目に見えないということに比べたら,まだ分かりやすく,まだ受け入れ易い。種が永遠でなければ,時間全体は,何らかの仕方で種xが存在する前の時代と,それに続くすべての時代に分割することができる。だがその接点では間違いなく何かが生じたのだろうか。多くの人々を困惑させてきた似たような謎を考えれば,助けになるだろう。新しいジョークを聞いた時など,いったいそれはどこから来たのだろうと,おもったことはないだろうか。もしあなたが,かつて私が知っていたり聞いたことがあったりした他のほとんどの人たちと同じであれば,あなたはジョークを決して作ったりしないで,誰かある人から聞いたことをおそらくは「改作」してひとに伝えているはずだ。しかしその誰かも,それをまた誰かから聞いて,そのまた誰かも,それをまた誰かから……。ところで私たちは,そのプロセスが永遠には続きえないことを知っている。たとえば,クリントン大統領についてのジョークも,もってせいえい1年というところだからだ。ではいったい誰がジョークを作るのだろう。ジョークの作者は(ジョークの版元とは対照的に)姿が見えない。ジョークの作者を現場で押さえる人がいるとは思われない。だからこんな民間伝承--「都市伝説」--さえあるほどだ。つまり,こうしたジョークはみんな監獄で囚人たちによってつくられたのだ。彼らは私たちとは似ても似つかない危険で異常な人たちで,秘密の地下ジョーク工房でジョークをこしらえるよりほかには時間のうまい使い方のないひとたちなのだ。ナンセンスな話だが,なかなか信じられなくてもきっと本当だと思われるのは,私たちが人から聞いて人に伝えるジョークは,伝えられる途上で訂正や更新を受けながら,初期の物語から進化してきたものだからだ。ジョークにはたいてい原作者がいない。ジョーク作りは何十,何百,何千という話し手に分散して行われ,そこからジョークが育ってきた先祖たち同様,それが休眠状態に入るに先だってしばらくは,何かその場その場に固有なそのときどきのおもしろさを備えたヴァージョンとして結晶化する。種分化もまた同じように目撃するのが難しいが,それはジョークの原作者を目撃するのが難しいのと同じ理由によっている。
ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.138
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