慎重な陪審員が,法廷で聞いた証言の記憶を公判記録で確認しようとしても,法廷はそれを認めない。たとえばカリフォルニア州では,裁判官は陪審員に「書かれた記録よりも自分の記憶を優先すべきだ」と話すよう推奨されている。法律家なら,この方針はたとえば,陪審員が公判記録を精査していたら審議が長くなりすぎてしまうといった,実際的な理由があると言うはずだ。
しかし私に言わせると,それはとんでもない話であり,まるで,事件の様子そのものを写したフィルムよりも,その事件に関する誰かの証言の方を信じるべきだと言っているようなものだ。ほかの分野で,そのような考え方に甘んじることなどけっしてありえない。アメリカ医師会は医師に,患者が話す病歴を信用しないよう勧告している。「心臓の音ですって?私に心臓の雑音があったなんて,記憶にありません。その薬はやめましょうよ」
レナード・ムロディナウ 水谷淳(訳) (2013). しらずしらず:あなたの9割を支配する「無意識」を科学する ダイヤモンド社 pp.76
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