歴史とは概して,勝者によって書かれた敗者の物語であり,同じことは先史時代についても言える。さまざまに変化をとげた先史時代の人類のなかで,今日まで生き抜いた唯一の種だという理由で,私たちはためらうことなく歴史の物語を独占してきた。生き残った者として,私たちは自らを勝者の役に祭り上げ,その他大勢を敗者に貶めてきたのではないだろうか。自分たちの存在が偶然のたまものだと受け止めるには謙虚さが必要だが,これまでの私たちは,その代わりに自己中心的な視点をもって,直径の祖先である「先史時代の征服者たち」の優位性を根拠もなく強調してきた。何ひとつ証拠が残っていないにもかかわらず,東南アジアに分け入った現生人類が,孤島のジャングルに身をひそめて難を逃れた運のいい少数派を除くすべての人類を滅ぼしたと思われているのも,そのためである。これから先,シベリア,中央アジア,ヨーロッパへと話が展開するにつれ,さらに多くの欠陥だらけの表現が先史時代の人類に用いられるのを目にすることだろう——なかでも「北国の愚鈍な野蛮人」と蔑まれてきたのは,ネアンデルタール人であった。
クライブ・フィンレイソン 上原直子(訳) (2013). そして最後にヒトが残った 白楊社 pp.147-148
(Finlayson, C. (2009). The Humans Who Went Extinct: Why Neanderthals Died Out and We Survived. Oxford: Oxford University Press.)
PR