簡単な思考実験を1つしてみよう。「火星人」の生物学者に,産卵用ニワトリとペキニーズと納屋ツバメとチータを送って,どのデザインに人為淘汰の痕跡があったか決めてもらうのだと仮定してみよう。彼らは,何に頼り,どういうふうに議論するだろうか。彼らは,ニワトリが卵を「正しく」世話していないことに注目するかもしれない。つまり,ある種のメンドリは,就巣本能を品種改良されているので,人間が用意した孵化器がなければ絶滅してしまうからだ。あるいは,ペキニーズは,かわいそうに劣悪な条件下にあって,想像できるかぎりの過酷な環境の中で育ったのだという注目の仕方をするかもしれない。一方で,ツバメが軒下のような作られた場所を巣の場所として生まれつき好んでいることは,彼らを誤らせて,ツバメがペットの一種だという考えに導くかもしれないし,チータは野生の生物なのだと確信させてくれるあらゆる特徴が,グレイハウンドにも見出された結果,結局それらは,品種改良家たちによって忍耐づよく促進されてきたと私たちが知っている特徴と同じではないかとされてしまうことも,ないとはかぎらない。結局,人工的な環境も,それ自体,自然の一部であるのだから,ある生体がつくられた実際の歴史についてのインサイダー的な情報がないのに,その生物体が人為淘汰の対象であったことが明らかに読みとれるといった徴しなど,<まず>あろうはずもない。
ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.423
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