アークムは1820年の英国を刺激的だが恐ろしい場所だと評している。そこではなんでも金で買えるが——ペストリー職人は「紛い(モック)タートル・スープを作るため」,まだピクピクしている牛の胎児さえ買った——原料をできるだけ安いものにしなければならない場合は,水増しと混ぜ物工作は,ほとんど不可避だった。それは,馬鹿げているほど人が階級を強く意識した時代で,誰もが金持ちの食べる白パンを食べたがり,かつては裕福な者のみが口にした多色の菓子を自分の子どもに食べさせたがった。だがその際,自分の買うパンがなぜこんなに安いのか,こんなに白いのか,自分たちの子供が食べる菓子が,なぜ自然界には存在しない色に染まっているのか疑問に思わなかった。それは,狡猾さと無知が合わさり,危険な食べ物を作り出している国だった。アークムは,無節操な人間にとって,しばしばすでに劣悪なものになっている食品をさらに劣悪なものにするのが,いとも容易だったことを書いている。ランカシャーの酪農場では牛乳は鉛の平鍋で加熱され,イングランド北部の宿の主人は「薄荷(ミント)サラダ」のためにミントを挽いた際,無分別にも,乳房と乳鉢の代わりに鉛の巨大な球を使った。その結果,「その重々しい器具が回転するたびに鉛の幾分かが削げ落ちた」。
ビー・ウィルソン 高儀 進(訳) (2009). 食品偽装の歴史 白水社 pp.35-36
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