現代のスーパーマーケットのパンは,誰が造ったのか,ほぼ完全にわからない。饐えていたり,十分に焼いていなかったり,異物で汚染されたひどいパンを買ったなら,誰に文句を言っていいのか?それを焼いた者にではない。彼らの役目は,機械工の役目とほとんど変わらぬものに縮小してしまった。その代わり,表向きの「責任者」は,イーストにも小麦粉にも触れずに事務所にいる「消費者担当部長」だろう。したがって立腹した消費者は,実際に鬱憤を晴らすことはできない。名ばかりの金銭的補償をしてもらえるかもしれないが,自分が口に入れたひどい代物を造った者をやっつけたとは言えない。事実それは,背後にどんな個人もいない食品なのだ。それとは対照的に,パンは中世では個人的なものだった。パン屋は自分の造ったパンに印を押さねばならなかった。もし法規を破ったなら,誰が破ったのかを突き止め,責任を問うことが容易になるからだ。それは,パンが特に良いものであれば誇りの印であり,混ぜ物や量目不足,偽の粉で出来ていたなら恥辱の印だった。パン屋はパンを自ら売るか,使用人に売らせるかしなければならず,中間商人を使うことは許されていなかった。
ビー・ウィルソン 高儀 進(訳) (2009). 食品偽装の歴史 白水社 pp.94
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