科学者たちが,いまにも絶滅しそうな,ハエをとる種類のカエルの小集団を集めて,保護的な管理下にある新しい環境へ入れたとしよう。そこにはハエはまったくいずに,代わりに,飼育員が定期的に,カエルの目の前に餌の小さなペレットを投げ与える,特別なカエル動物園であったのである。うれしいことに,それはうまくいった。カエルは舌を伸ばしてペレットをとらえることで育ち,やがて,一生の間ずっとペレットだけで一度もハエを見たことがない,子孫のカエル一群が得られた。<そのカエルの>眼は脳に何を伝えるのか。もし,意味は変化していないのだと主張すると,面倒な事態になる。というのは,これは,自然淘汰に常に起きていることを人工的に明瞭にした事例だからである。つまり,外適応である。ダーウィンが苦心して思いださせてくれたように,新しい目的に向けてのからくりの再利用は,「母なる自然」が成功したことへの秘訣のひとつなのだ。私たちは,さらに説得を望む人には誰にでも,次のような示唆によって肝心な点を十分に理解させることができる。管理されたカエルは,眼のペレット検知能力の違いによって,ある個体は十分に食べられず,結果として子孫を残せないことから,全員がみな同じように申し分なく生きているわけではない。てっとり早くいえば,ペレット検知に向けた淘汰が紛れもなく働き続けてきたはずなのだ。もっとも,ペレット検知と「みなせる」に十分なものがうまれたのはいつなのかと問うことは,誤りではあろうが。
ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.541
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