1850年までには,「衛生的」であるということが最も望ましいことになった。そのことは,ワクリーがハッサルとの共同事業に付けた名前——分析衛生委員会——に反映している。ハッサルが公表した,混ぜ物をした飲食物に関するどの報告も,そのぎこちない名称のもとに載った。『ランセット』は最初の報告を載せる前に,重々しい声明を出した。「汚染されていない空気,純粋な水こそがいまや,健康な生活の維持に欠かせないものと広く認められている。その目的のためにわれわれは,医療委員会と下水道委員会を設置した」。混ぜ物工作一掃に取り組むのが次の段階なのは言うまでもなかった。『ランセット』は,「この偉大な首都とその周辺の住民に供給されている,さまざまな食品の現在の状態について,広範囲に及ぶ,いささか精力的な一連の調査を行う」つもりだと書いた。
ビー・ウィルソン 高儀 進(訳) (2009). 食品偽装の歴史 白水社 pp.166-167
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