1970年代の調味料産業の業界の広告に,自然食品をあからさまに軽蔑している多くの文言が使ってある——自然食品はフレイヴァリストの試験官の中で生まれた奇跡に比べれば,ひどく汚らしく,ひどく高価で,どうしようもないほどに信頼性に欠ける。「ダーキー社は気まぐれなトマトを改良します」と,ある広告は自慢した。自然食品と対照的に,合成調味料の食品は「比較的安定した価格,質のばらつきのなさ,恒常的入手可能性」を約束した。「われらが死せる親愛なるキイチゴを追悼して」という文句が,1975年のホワイト・スティーヴンソン社の調味料の広告に使われた。本物のキイチゴがガラスの柩の中で死んでいる。「でも,心配御無用」と陽気な調子の広告の文句は続く。「キイチゴは新しい<エッセンス>と<ナトゥラ>の中に依然として生きています。これらの製品は驚くべき正確さで,キイチゴのものであった風味を捉えています」。フレイヴァリストはキイチゴに執着していたように見える。1970年代の別の広告,バーネット&フォスター社の広告には,白衣の科学者が巨大なプラスティック製のキイチゴを,コンパスを使って測っている姿が載っている。まるで,その捉えがたい風味を不朽の公式にしてしまおうとするかのように。
現実には,キイチゴはすべて,それぞれ違う味がする。それが楽しいのだ。熟れ過ぎずに汁が溢れるほどの本当に甘いキイチゴは,ほかにがっかりするようなキイチゴがあるのを知っているから,いっそう旨いのだ。黴臭いもの,酸っぱいもの,固くて貧弱で種の多いものがあるのを。しかしフレイヴァリストは,そうは見ない。調味料について書かれた最近のある教科書には,「普通の栽培されたキイチゴ」は「ひどく水っぽくて酸っぱい」味がすることが多いという不満が書かれている。一方,キイチゴ風味の調味料は,最も芳しい熟れたキイチゴの粋で,「甘美で,新鮮で,フルーティーで,緑で,花のようで,菫に似た香りがし,草の種と森を思わせる」。キイチゴの調味料を分析すると,基本的なものは次の通りである。菫の花の香りを出すには,アルファおよびベータ・イオノンを混ぜる。フルーティーなキイチゴのコクを出すには,1-(4-ヒドロキシフェニル)ブタン2-1を少し入れる。新鮮な緑の「最高音」を出すには,少量の(Z)-3-ヘクサナルを使う。もし,ジャムのような質にしたければ,2-5ジメチル-4ヒロドキシ-フラン-3(2H)をほんの少し使えばよい。
ビー・ウィルソン 高儀 進(訳) (2009). 食品偽装の歴史 白水社 pp.320-321
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