外国語でも教育を受けられるごく少数のエリートが大学で西洋の学問を吸収していた文明開化の後,輸入した学問を翻訳して比較的多数の学生に日本語で流布伝達する教育の時代が長く続きました。しかし,昨今の様に東大の研究が国際的に通用するレベルになればその成果は当然英語で発信されますし,研究で参照する文献資料も英語が圧倒的に多くなっています。留学生が増えると研究室での議論も英語で交わされるようになるため,教育でもそのまま英語を使う方が自然だ,という時代が再び訪れつつあります。
一方で,海外に行かないと先端的な研究ができない,という内外格差もほぼなくなりました。東大の教員が海外渡航するのは,集中して研究に没頭したり本や論文を執筆したりするサバティカル(日常業務から解放された数ヶ月から1年程度の自由な期間)的な時間の確保がいまや主な理由です。国外に在留する大学生の数がOECD諸国の中ではアメリカについで日本は低い,という実体が内向きだと批判されていますが,勉強のためにわざわざ国外へ行く必要はないからだとも考えられます。日本で学べない教育を受けるための留学というよりは,留学体験自体に現在では意義があるのでしょう。
沖 大幹 (2014). 東大教授 新潮社 pp.26
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