河合がとくに慎重になったのは,ユングの「象徴理論」についてである。箱庭を作り続けていると,ある程度似通った図柄が現れる。たとえばマンダラ表現がその1つで,自分の中の相対する感情を統合した自己のシンボルという意味をもつのだが,こういったことを始めから強調すると日本人にはうさんくさいと思われる危険性がある。そのため河合は,とにかく事例を集積させることが必要だと考えて象徴解釈は一切述べず,カウンセラーたちには,患者の作る箱庭を「解釈よりは鑑賞するつもりで」と指示し,治療者と患者の関係がまずなによりも重要な出発点であることを伝えた。箱庭療法という日本語の呼び名は,そんな同僚たちとの実践を通じて誰からともなく使われるようになったものである。
河合が中心となって行われた箱庭療法のケースが日本で初めて紹介されたのは,スイス留学から帰国した翌年の1966年10月,東京家政大学で行われた日本臨床心理学会第2回大会だった。以来,問い合わせや激励が京都市カウンセリング・センターに寄せられ,翌年には,まとまった事例集が初めて刊行されたこともあって,木村晴子が初めて参加した第3回大会では,河合隼雄と箱庭療法への関心がいっそう高まっていたのである。
最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.31
PR