もう1つ気になったのは,自分語りである。私は,すでに20年近く,実家にいる両親の遠距離介護を続けているのだが,そのしんどさを打ち明けたとたん,「介護は大変ですよね」と共感してくれたものの,次第にカウンセラーが自分の介護経験を延々と語り始めたのである。これも私の質問が引き金になったとはいえ,聞いてもいないことまで話し続けられ,いつのまにか私のほうが聞き役になっていた。これではどちらがカウンセラーなのかわからない,お金を払ってまであなたの自分語りを聞きたくないと,途中で帰りたい気持ちになった。
それに比べると,あるベテランの臨床心理士に受けた箱庭療法では,私の口から故郷の話も出なければ,介護の苦労話もなかった。話はあくまでも箱庭の世界にとどまり,「コップの中の剣士が窒息しそうです」とか,「ユニコーンは希望の象徴ですが,砂に足をとられて倒れてしまいそうです」「まだ水を求める段階ではないようです」といったメタファーを用いた抽象的な感想を述べていた。
カウンセラーはただ横にいて見守るだけで,解釈するわけでも,何かを予言するわけでもない。私の質問に対しても,簡潔に必要最低限の返事が返ってくるだけだった。前の2人に比べると親しみやすさはないし,時間の延長など頼める雰囲気もなかった。ただ,私の箱庭をよく見て,私の発する言葉をよく聞き,そこに展開した世界について考えようとしてくれていた。不思議なことに,このときは自分自身,箱庭がこの先どうなるかが気になり,2週間後に再訪している。
臨床心理士が自分語りをしないわけではないし,してはいけないわけでもないが,カウンセラーの自己開示がクライエントにとって有効と判断した場合に限られていて,それも研修会などで具体的な事例をもとに頻繁に訓練されている。カウンセリングは,ふだんの何気ない日常会話とは違い,クライエントの症状の改善を目的としているから当然だろう。たまたま私が会ったカウンセラーたちがそうだっただけかもしれないが,それでも,前の2人は,自分がクライエントにどう思われているかの想像力が少々足りないような気がした。
大学院に入学してから最短でも3年,学部から数えれば7年,資格を取得してからも更新の手続きを必要とする臨床心理士と,短期間の講座を受けて実習経験も乏しいまま開業できる資格を比べると,教育や訓練の差が出るのはやむをえないだろうが,カウンセラーとしての自覚と自律はその根本的な相違ではないかと思われた。
最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.70-71
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