日本で,カウンセリングやカウンセラーという言葉が使われるようになるのは第二次世界大戦後のことだが,相談員が相談者に指導・助言する,あるいは,人の能力を測定する活動は,1910年代半ばにはすでに日本に紹介され,実施されていた。アメリカの運動とほとんどタイムラグがないのは,その渦中に留学し,日本に持ち帰った若き日本人心理学者たちがいたためである。
その代表的な人物が,久保良英である。東京帝国大学で心理学を修めた久保は,東京市教育課の視学を務めていたときに「学童の心理の研究の緊要なことが痛切に感ぜられ」(『久保良英随筆集・滴』),1913年にマサチューセッツ州ウースターにあるクラーク大学に留学した。
久保が何を,どんな環境で学んでいたかは,帰国後いち早くフロイトの精神分析を日本語で紹介した著書『精神分析法』(1917)の序文に明らかである。久保が師事したのは,アメリカ心理学会の初代会長を務めた心理学者,グランヴィル・スタンレー・ホールで,週2回の講義中,当時の精神医学界で話題となっていたフロイトと,フロイトに師事しながらも決別したアルフレッド・アドラーの名前を聞かない日はほとんどなかったという。
本書の冒頭には,スタンレー・ホールのほか,1909年に行われたクラーク大学20周年記念祭に招聘したフロイトとその一派であるユングら4人の精神分析家の顔写真が掲載されている。このとき,フロイトらが全米を講演旅行で回ったことからアメリカ精神医学界は多大なる影響を受け,一躍,精神分析ブームが起こる。
最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.82
PR