実は来日した頃のロジャーズは,アメリカでは不遇の時間を過ごしていた。シカゴ大学から移ったウィスコンシン大学では,統合失調症の患者に対する大規模な研究を行おうとして十分な成果が得られず苦しみ,学内の人間関係にも悩まされていた。
1962年にカリフォルニア大学大学院バークレー校に留学した村瀬嘉代子は,ロジャーズが大学で講演を行うと知り,大学院の友人や指導教官に日本ではロジャーズが大変人気があって尊敬を集めていると熱をこめて話すと,「この国では,彼は少数派である,だがどんな話し方をするか,どんな人物かは関心があるから聴きに行く」と冷ややかな反応が返ってきたと手記『柔らかなこころ,静かな思い』の中で回想している。
講演会場に出かけてみると,予定されていた大教室は瞬く間に満員となり,1千人は収容できるトルーマンホールに変更されたものの会場からはみ出るほどの関心の高さだった。最終的にキャンパスから徒歩5分の教会が会場となり,村瀬はそこで講演を聴くことになるが,聴衆の間には「『何を話すか,どれだけ説得力があるかを聴いてみようではないか』といったこころもち皮肉な空気が漂っていた」という。
ロジャーズはその日,自らの生い立ちに始まり,学生生活や臨床を行っている中での課題などを紹介しながら,現在の非指示的・来談者中心療法が生まれるまでの経緯を語った。日本で一部の研究者から揶揄的に「ノンデレ(non-directiveを略して)」と呼ばれ,「受容」や「共感」といった言葉が教条主義的に語られるのとはまったく違い,「ロジャーズその人の思索と経験の中から必然性をもってその学説が語られ」,「言葉の背後から人間存在への畏敬と事実に率直に直面する姿勢が伝わって」くるようだったという。
村瀬は当時を回想する。
「ロジャーズが登場したときは,冷ややかな,見えない何かが冷たく突き刺さるような雰囲気でした。ところが,ロジャーズが自分の経験をふまえて静かに語るうちに,聴衆はだんだん催眠術をかけられたように聞き入って,最後は拍手が鳴り止みませんでした。これには驚きました。
話しているのはシンプルなことなのに,みながそうだと深い共感を覚えた。精神分析などこれまで会得した技法のアンチテーゼとして非指示的・来談者中心療法を打ち出し,たくさんの実践の中で何度も何度も確かめていったことや本質だけを語っていたからでしょう。素直に感動,というのとはちょっと違ったんですけれど,本物って何かというのがわかった経験でした。
それなのに,日本人はその産みの苦しみや本質を理解せずに自分に都合よく解釈して,ロジャーズは甘い,あたたかいと思い込んでいる。これでは安直な宗教みたいになってしまいます。実際にロジャーズの講演を聞いて,それは違うんじゃないか,エモーショナルではあるけれど,非常にオブジェクティブで知的で,つまり,矛盾したものが絶妙なバランスで融合している。だからこの人はこんなふうに人を魅了するのだと思いました」
最相葉月 (2014). セラピスト 新潮社 pp.110-111
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