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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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宗教というミーム

 ハイイログマやオオカミが野生状態で生きているのは素晴らしいことである。少し知恵を働かせたら,私たちは平和に共存していくことができるからだ。私たちの政治的寛容や宗教的自由の中にも同じ政策を認めることができる。あなたは,それが社会にとって脅威にならないかぎり,自分の願ういかなる宗教的信条を保存するのも,創るのも,自由である。私たちは全員「宇宙船地球号」に乗り合わせているのだから,いささかの調整は身につける必要がある。ヒュッテル族のミームは,部外者を抹殺するという徳をめぐるいかなるミームをも含んでいないのだから,「利口」である。もしそうしたミームを含んでいるのであれば,私たちはそれらのミームと闘わなければならないだろう。私たちがヒュッテル族に寛容なのは,彼らが自分をしか害しないからだ。もっとも私たちとしては,次のように主張しても少しもおかしくはないのだが。すなわち,あなた方のお子さんたちの学校教育については,私たちにも,何かもっと開かれた態度を課する権利があるのですが,と。他の宗教ミームはこんなにおとなしくはない。そのメッセージは明らかである。みずから調整しようとしない者,自分を押さえようとしない者,自分たちの遺産のうちもっとも純粋でもっとも熱狂的な血を引くものだけを残せばよいと主張する者,これらの者は仕方がないので,私たちとしては,彼らを檻に入れたり武装を解除させたりするしかなくなるだろうし,彼らがそのために闘っている当のミームを,万全をつくして失効させることにもなるだろう。奴隷制,子どもの虐待,差別など,もっての他だが,ある宗教を冒瀆した者に(彼らを引き出した者には報奨金までつけて)死罪を申し渡すなど,やはりもっての他である。そんなことは文明人のすることではない。そんなことが宗教的自由の名において尊敬に値するはずはないのは,血も凍るような殺人をそそのかすことが尊敬に値するはずはないのと同じである。

ダニエル・C・デネット 山口泰司(監訳) (2001). ダーウィンの危険な思想 生命の意味と進化 p.698-699
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