心理学者たちの間の伝説によれば,その発見のきっかけとなったのは1920年代半ば,ベルリン大学近くでの昼食の席だった。大学関係者がおおぜいでレストランへ行き,1人のウェイターに注文をしたが,そのウェイターは何も書き留めなかった。ただうなずいただけだ。それなのに彼は全員の注文を正確に給仕し,その記憶力に全員が舌を巻いた。食べ終わって店を出ると,そのうちの1人が(伝説でははっきり誰とはわからない)忘れ物をしたことに気づき,それを取りに店に戻った。さっきのウェイターを見つけて,彼のすばらしい記憶力が助けになってくれるのではないかと期待しながら用件を告げた。
ところがウェイターは,ぽかんとするばかりだ。彼は戻ってきた男が誰なのか,どこに座っていたのかさえ忘れていた。すべてをそれほどすばやく忘れてしまうものか尋ねると,彼は注文をおぼえているのは給仕が終わるまでなのだと説明した。
その店で食事をした1人,ブルーマ・ザイガルニックという若いロシア人の心理学科の学生と,その指導者である大御所クルト・レヴィンはこの経験についてじっくり考えて,そこに何か一般化できる原則があるのではないかと思った。人間の記憶は仕事を終える前とあとでは,大きく違っているのだろうか。そこで彼らは,被験者にジグソーパズルをしてもらって,途中で邪魔が入るとどうなるかという実験を始めた。この実験はその後何十年にもわたって行なわれ,のちに「ザイガルニック効果」と呼ばれる現象が確認された。終わっていない仕事や達成されていない目標は,頭に浮かびがちだという現象だ。逆に仕事が完成して目標が達成されると,頭にそれが何度も浮かんでくる現象はストップする。
ロイ・バウマイスター&ジョン・ティアニー 渡会圭子(訳) (2013). WILLPOWER 意志力の科学 インターシフト pp.110-111
(Baumeister, R. F., & Tierney, J. (2011). Willpower: Rediscovering the Greatest Human Strength. London: Penguin Books.)
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