中庭の「さざれ石」は,その時代の象徴だった。国旗,国家をめぐって学校式典における掲揚,歌唱を進めようとする文部省と反対する日教組は各所で激しく争った。その闘争の過程で,本来細石=小石である「さざれ石」が「巌となりて苔のむす」なんて非科学的でありえないとの批判がなされるのだが,実際は,石灰岩が長い年月の間に雨水などで溶解されて,その時生じる乳状液が小石を凝固させて巨石になるのであり「石灰質角礫岩」という学名を持つ。その現物を後に,岐阜県から運んできたのだという。
先輩たちにとっては日教組と争った結果の勝利記念碑に見えただろうが,後に入省してそれを見るわたしたちには,話の種になる程度の物珍しい展示物のひとつでしかなかった。わたしが文部省に入った70年代半ばは,長く続いた文部省vs.日教組の争いが一段落して次の時代へと進もうとする時期だったのである。
寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.26
PR