もともと教育制度は,一朝一夕に変えられるものではない。たとえば安部首相が言及する学制改革にしても,明治の初めの学制発布は政府の強権発動が可能だったからだし,戦後の改革は占領軍の命令があったから一気にできた。各学校に生徒,学生が在籍している状態のままで簡単に行えるものではなく,時間をかけて移行させていかなければならない。
臨教審で提言された学校週5日制の場合,86年の第二次答申で週5日制への移行の検討が求められ,87年に文部省の教育課程審議会が漸次的な導入の方向での検討を提言した。92年に月1日の実施となり,95年に月2回,完全実施は02年からである。段階的導入を開始してから10年。最初の提言からは16年もの時間が経過している。
子どもが土曜・日曜に家庭や地域で過ごす生活は,それを取り巻く大人たちの間にもすっかり定着している。地域で子どもたちが活動できる場も増え,少年野球,サッカークラブをはじめとする各種スポーツ教室,合掌,美術などの芸術団体でさまざまなことに挑む姿が当たり前になった。廃れかけていた地域のお祭りや郷土芸能も,子どもたちの参加で息を吹き返している。宗教関係者からは,週末に神社,お寺,教会などで厳かな宗教的雰囲気に触れる子どもが増えたと聞く。
これを「来年から元の6日制に戻す」などという思いつきレベルの提案がいかに乱暴かがわかるだろう。16年かけて議論し段階的に実施して定着させたものを,何の新しい議論もなく単純に元に戻すのでは,およそまともな教育政策とはいえない。
寺脇 研 (2013). 文部科学省:「三流官庁」の知られざる素顔 中央公論新社 pp.266-267
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