また,マスコミへの露出が多いことに対しても反感を持たれていた。アレックスはテレビ,雑誌や新聞で特集されることが多く,そのために激しい嫉妬が私に向けられた。昇進が認められなかった翌年の1997年に,私は1年間の研究休暇をもらえることになっていた。グッゲンハイム財団から研究費を得ることもできたので,それまでアレックスと研究してきた20年間の成果を本にまとめることにした。のちにハーバード大学出版局から出た『アレックス・スタディ』である。私は,本をまとめる時間がたっぷり取れることと,大学でのしがらみから開放されることで,研究休暇をとても楽しみにしていた。しかし,私がそのタイミングで研究休暇を取ろうとしたことを,大学は気に入らなかったようだ。なんと,研究休暇を取りやめて生物学入門の講義を担当するようにまた言われてしまったのだ。もちろん,それも断った。
トルストイに言わせれば,不幸な職場はどれもその不幸の中身は違うのかも知れない。しかし,私に言わせれば,不幸のパターンは一緒だ。職場の人と規則と状況の組み合わせが悪いと,どう転んでもポジティブな結果は出ないものだ。
アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.204-205
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