紀元前4世紀にアリストテレスが考案した自然観が,実質的には現代まで受け継がれている。彼は,“精神”の序列によってすべての生物と無生物を階層的に分類した。その一番上の階層,神々のすぐ下にいるとされたのが,人間だ。人間は,その優れた知能のために一番上に位置づけられた。より“下等”な動物たちは人間よりも下の階層に位置づけられ,そのさらに下には植物,そして一番下の階層には鉱物がいるとされた。アリストテレスのこの考え方は,ユダヤ教とキリスト教の教義にそのまま組み込まれ,生きとし生けるものと全地の支配権が神によって人間に与えられているという考え方のもとになった。このように,あらゆるものを“高等”から“下等”まで1本のモノサシの上に並べることができるとする自然観は,「存在の大いなる鎖(The Great Chain of Being)」と呼ばれることもある。そしてそのモノサシの上では,人間は神が創造したその他の生物と根本的に異質であるだけでなく,他の生物よりもはるかに優れた存在だとされる。
生物は神が創造したままの形なのではなく,進化によって発展してきたのだというダーウィンの説が受け入れられても,その考え方が大きく変わることはなかった。存在の大いなる鎖は“神がつくった序列”から“進化の序列”に変わっただけで,進化の過程で生物はどんどん複雑になり,その究極の形として人間が現れたと考えられるようになった(ダーウィン自身はこのように言ってはいないのだが,他の人間中心主義的な学者たちが進化論をこのように解釈したのだ)。このことは,進化論が登場したあとも,人間は自然界の他の生物とは異質であり,優れているのだと考え続けられた(進化論的には,本来は進化の過程の中で他のすべての生物とつながっているはずなのに)。いずれにしても,つい最近まではほとんどの科学者が“人間は他の生物とは根本的に違う”ということを信じて疑わなかったのだ。ああ,ホモ・サピエンス,そなたはなんといううぬぼれ屋なのか。
アイリーン・M・ペパーバーグ 佐柳信男(訳) (2010). アレックスと私 幻冬舎 pp.277-278
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