彼らの要求がこういうものであるとしたら,もしも嘆かわしい経済的問題を解決するために学位を取得せざるを得ないという,逆説的なさだめの犠牲になっているとしたら,彼らはまず次の2つのことをなすべきであろう。すなわち,
(1)誰か他人に論文を作成してもらうために,相当額を投資する。(2)他の大学で数年前にすでに作成された論文をコピーする(たとえ外国語によるものであれ,すでに印刷された著作をコピーするのはよくない。なぜかといえば,教員がほとんど情報に通じていないにしても,それの存在していることをもう知っているに違いないからだ。けれども,カターニャで作成された論文をミラノでコピーすれば,うまくやりおおせるであろう。もちろん,論文の指導教員がミラノで教える以前にカターニャで教鞭をとったことがないかどうかを知る必要がある。したがって,論文をコピーするためにも,研究という知的作業が前提となるのである)。
自明のとおり,今しがた与えた2つの助言は違法である。たとえてみれば,「負傷して救急病院にかけつけたのに,医者が診察しようとしなければ,医者の喉にナイフを突きつけろ」というようなものかもしれない。いずれの場合とも,絶望的好意である。筆者が逆説的な助言を行ったのも,本書の意図が,現存の社会構造やさだめのゆゆしい諸問題の解決にあるわけではないことを念押しするためなのだ。
それだから,本書が相手にしているのは(金満家でもなく,また世界中を旅行した後で学位を取得するために10年の年月を自由にできないにしても)日々研究に何時間かを割けるだけの余裕があり,かつ,ある種の知的満足をもたらし,学位取得後も役立つような論文を準備したいと思っている人たちなのである。
ウンベルト・エコ 谷口 勇(訳) (1991). 論文作法—調査・研究・執筆の技術と手順— 而立書房 pp.7-8
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