精神医学や心理学を批判する人たちは,「あらゆる問題行動に症候群やら精神障害などの名前をつけて分類するのは,本人の責任をあいまいにする」と主張する。彼らが恐れているのは,人間の悪い行いが“病気”のためだということになれば,本人が自分の行動をコントロールできなくても,「病気なのだからしかたがないのではないか」という考えがまかり通るようになるのではないかということだ。
だが,一部のASPやその弁護士たちはそういう理屈でASPを犯罪行為の口実に使おうと企てるかもしれないが,精神科の専門家はそのようには考えない。ASPとは,行動,選択,感覚,などに異常なパターンを示すものではあるが,だからといって,この障害を持つ人間が自分の歩む道を自分で決められないということにはならないからである。彼らは正しい道を選ぼうと思えばできるにもかかわrず,自分の意志で間違った道を選んでいるのだ。
他のいくつかの精神障害と違い,ASPは現実認識能力の喪失を伴わない。本人は自分が何をしているのかも,自分の周囲で何が起きているのかも,十分によくわかっている。彼らは善悪の区別はできるのに,それを無視しているのである。彼らは意図的に行動しており,意識は極度に自己中心的なゴールに集中している。つまり,彼らは自分の行動に100パーセント責任を持っており,その責任は追及されなければならない。
ドナルド・W・ブラック 玉置 悟(訳) (2002). 社会悪のルーツ ASP(反社会的人格障害)の謎を解く 毎日新聞社 p.262-263.
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