対立的な兆候に神経質な態度をとる必要はないし,誰かが自分の論文のそれに近いテーマについて云々するたびごとに剽窃されたと思い込む必要もない。仮に,たとえば,ダーウィン進化論とラマルク説(用不用説)との関係について論文を書いたとする。その場合,批評文献を追跡していくと,他の人びとがそのテーマについてすでにいかに論じているかということや,すべての研究者が共有の考えがいかにたくさんあるかということに気づくであろう。だから,少し経ってから,指導教員や,その助手や,あるいは同僚が同一テーマに専念しても,才能を騙し取られたと邪推するには及ばない。
学問的仕事の剽窃と見なされるべきものとしてはむしろ,所定の実験を行わなければ得られないような実験データーの使用。君の仕事以前には転写されたためしのない珍しい写本の筆写を横取りすること。君より以前には誰も収集したことのない統計データー——この典拠が挙げられていない場合にのみ,剽窃といえるのである(それというのも,論文はひとたび公にされるや,誰もがそれを引用する権利を持つからだ)——を活用すること。以前には翻訳されたことがないか,もしくは別の仕方で翻訳されるかしたテクストを,君が苦労して翻訳したのに,それを勝手に利用すること。こういう類のものである。
ウンベルト・エコ 谷口 勇(訳) (1991). 論文作法—調査・研究・執筆の技術と手順— 而立書房 pp.56
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