瀉血は,史上最古の医学治療の1つで,これほど長く,複雑な歴史を持つ治療法は他にない。もっとも古いところでは3000年前のエジプトの文献に記録が残っている。19世紀にピークを迎えたが,その後100年で急速に評判を落とし,「野蛮な治療」の代名詞となった。2000年前にもシリアの医者がヒルを使って患者を血を吸わせていたというし,12世紀エジプトのアイユーブ朝のスルタンは,有名なユダヤ人医師マイモニデスに瀉血をほどこしてもらっている。アジアやヨーロッパ,アメリカの医師や治療師は,先を尖らせた棒やサメの歯,小型の弓矢などさまざまな器具を使って,患者の皮膚や血管を開いて放血させた。
西洋社会では,この療法は1世紀のギリシャ人医学者ガレノスが唱えた「血液,黒胆汁,黄胆汁,粘液の4種類の体液説」から生まれた,ガレノスとその後継者たちは,あらゆる病気はこの4種類の体液バランスが崩れたときに起こるのだから,絶食や胃腸の浄化,瀉血で体液バランスをもとにもどしてやるのが医者の仕事だと考えた。
(注:ガレノスは紀元129年頃生まれなので,1世紀ではなく2世紀である。)
シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.37
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