鉄は体にいい。鉄は体にいい。鉄は体にいい。
しかし,世の中にある「よい」ものがすべてそうであるように,鉄もまた「適度」でなければならないということを,みなさんもおわかりになったことだろう。ところがつい最近まで,医学界はそのことに気づいていなかった。鉄は体にいい,多ければ多いほどいい,と勝手に信じていた。
医者のジョン・マーレーとその妻はソマリアの難民キャンプで働いていたとき,あることに気がついた。当地の遊牧民の多くは貧血症であるにもかかわらず,またマラリアや結核,ブルセラ症など毒性の強い病原体に何度もさらされているはずなのに,そうした感染症にかかっていないようなのだ。マーレーは首をかしげながらも,きっと単なる偶然なのだろうと片づけた。そして,感染症ではなく貧血症の治療をしようと遊牧民の貧血患者に鉄補給剤をあたえた。すると,あっというまに遊牧民たちに感染症が広がった。鉄を補給された遊牧民への感染率が爆発的に増えたのだ。つまり,ソマリアの遊牧民は貧血にもかかわらず感染症にかからなかったのではなく,貧血のおかげで感染症にかからずにすんでいたのだ。彼らの体内では,鉄封じ機能がフル回転していた。
35年前,ニュージーランドの医者たちは,先住民族のマオリ人の赤ん坊に日常的に鉄補給剤を注射していた。医者たちにしてみれば,マオリ人の食生活は栄養不良で鉄分不足だから赤ん坊が貧血症になるのだと考えた。
ところが鉄を補給されたマオリ人の赤ん坊は,敗血症や髄膜炎など下手をすれば死に至る感染症に7倍も多く感染するようになってしまった。敗血症の赤ん坊も,体内で有毒な細菌に鉄をあたえないようそれなりのコントロールをしていたのに,医者が赤ん坊という「細菌のエサ」を外からあたえてしまったために,悲劇が起きたのだ。
シャロン・モアレム,ジョナサン・プリンス 矢野真千子(訳) (2007). 迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来るのか 日本放送出版協会 p.40-41
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