欧米が圧倒的な経済力を長期にわたって誇ってきたために忘れられていることが多いが,わずか500年前,技術力がもっとも高かったのはヨーロッパではなく中国であり,当時は世界の経済生産の65パーセントをアジアが生み出していた。
少なくとも欧米ではほとんど忘れられているが,1405年に317隻,総人数2万7千人の大艦隊が,7回に及ぶ大航海の第1回に乗り出した。歴史家のルイーズ・リバシーズによれば,この中国の大艦隊を率いた鄭和はイスラム教徒の宦官で,世界史上まれにみる航海家であり,アフリカと中東の沿岸を探検し,西はジッダとエジプトに達し,インド洋の全域に朝貢貿易のための海軍基地を設けた。
それから250年を経てようやく,啓蒙主義と初期の産業革命によって第2の波の大変革が起こり,経済力,政治力,軍事力の中心がまずはヨーロッパに徐々に移るようになった。
だが,そこに止まってはいなかった。19世紀末には,世界の富の創出の中心がふたたび移動し,さらに西のアメリカに移りはじめていた。2回の世界大戦によって,ヨーロッパは経済的な支配力を失った。
1941年,日本が真珠湾を攻撃してアメリカが第二次世界大戦に参戦する直前に,タイム誌発行人のヘンリー・ルースが,20世紀は「アメリカの世紀」だと主張するまでになっていた。ルースはこう論じた。「アメリカは世界全体の良きサマリア人になり,世界的な文明の崩壊のために飢えと貧困に苦しんでいる人々に,食料を提供する役割を果たさなければならない」
そして確かにこのとき以来,とくに1950年代半ばに第3の波と知識経済への移行がはじまって以来,アメリカは世界経済で圧倒的な地位を占めてきた。だが富の中心はアジアに移ろうとしており,まずは日本が豊かになり,つぎに韓国などのいわゆる新興工業経済群(NIES)に波及し,その後の数十年を通じてアジアが力をつけてきた。
アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.131-132
PR