科学とは,事実を集めたものではない。科学とは,考え方を検証するプロセスである(混乱し,順序だっていないことも多いが)。科学の世界では,考え方は少なくとも原則的には検証可能でなければならない(間違いを立証できるものでなければならないという人もいるだろう)。検証にあたっては,観察を実験を行う。結果は再現性がなければならない。これらの基準を満たさない知識は,科学的ではない。
それだけではない。科学の世界では,とりわけ説得力がある発見でも不完全な仮説でしかなく,その後に科学的に検証された発見があらわれれば,かならず見直され,改定され,否定されていく。
このような性格から,科学は6つの基準のうち唯一,宗教や政治,民族や人種などに基づく狂信的な熱狂に反対する性格をもっている。迫害,テロ,異端審問,自爆攻撃などを生み出すのは,狂信的な信念である。そして科学は狂信的な信念を否定し,とくにしっかりと確立した科学研究の成果ですら,せいぜいのところ部分的で一時的な真実でしかないという認識を育む。
この考え方,つまり科学的な知識は改善でき否定できるものでなければならず,改善されるか否定されていくべきものだという考え方のために,科学は一等地を抜くものになっている。この考え方のために,常識,一貫性,権威,啓示,時の試練などの他の基準とは違って,科学だけはみずから誤りを修正できる。
アルビン・トフラー&ハイジ・トフラー (2006). 富の未来 上 講談社 pp.240-241
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