筆者の人生において起きた出来事で,後知恵によってそれが起きたときとは非常に違って見えるたくさんのことを私は思い出すことができる。事の最中ではそのことの真実を全く確信しているか,あるいは私の立場が妥当なことを心から信じている——そして,もちろん他者の立場が妥当でないことも。そのように行動するしか選択肢がなかったと納得することもある。しかしその後,時が過ぎればそのことが全く違うように見える。展望する何らかの視点を得るなら,それに続くのは,あのときは絶対真実で正しいと思えたものが,完全な偽りや間違いであったということである。後知恵を通して私はある程度の洞察を得るだけでなく,道徳的成長へ向かう,小さくはあるが一歩を踏み出したのである。「道徳的」の語で私は,「良い」行為や「悪い」行為としばしば結びつけられるような特殊な経験の領域(つまり「道徳性」)のことを言っているだけでなく,いかに生きるべきかについての根本的な問題と関係する,より広範な経験の領域(しばしば「倫理」の題目で考察される)のことを言っている。したがって私の命題の第二はこうである。後知恵は道徳生活を形づくり,深めるのに不可欠な役割を演じる。
マーク・フリーマン 鈴木聡志(訳) (2014). 後知恵:過去を振り返ることの希望と危うさ 新曜社 pp.3
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