人は,後になって,そのとき知りようのなかったことを知らなかったという事実のために,自分を責めることがある。また人は,やむを得ず行った行動のために,自分を責めることがある。このような状況で,ある程度の「自己憐憫」が呼び出される。ある者たちはこの方向に動くことができるが,そうでない者たちもいる。この連続体の他方の端では,自責の元が完全に明白なことがある。お前は知っていた,そして何もしなかった。おまえは,決して言い訳のできないようなことをした。そして,あいまいな中間があり,そこでは人はこのように問うかもしれない。私は知るべきだった何を知らなかったのか,見るべきだった何を見なかったのか?私は,渇き,飢え,生きたいという欲求に直面していたことを考えれば,そのようにしなかったからといって何だというのか?
マーク・フリーマン 鈴木聡志(訳) (2014). 後知恵:過去を振り返ることの希望と危うさ 新曜社 pp.86-87
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